Interview 対談・インタビュー
今回の対談・インタビュー企画は、「あわいひかり」代表の奥田が、印刷業界の大先輩であり、地元観音寺市出身の大先輩でもある東洋インキSCホールディングス株式会社 (以下「東洋インキ」)前相談役の佐久間國雄氏に、これまでグラビア印刷が歩んできた環境対策の変遷と、これから歩むべきグラビア印刷の未来についてお話をお伺いしました。
※東洋インキSCホールディングス株式会社(旧東洋インキ製造株式会社)は、2024年1月1日よりartience株式会社に社名変更しました。
佐久間 國雄さん
東洋インキSCホールディングス株式会社 前相談役
1944年 、香川県観音寺市に生まれる。
香川県立観音寺第一高校卒業後、慶應義塾大学に進学のため上京。1968年、東洋インキ製造株式会社に入社し、1997年に同社常務取締役、2000年に同社代表取締役社長に就任。社長在籍中には、凸版印刷およびトッパン・フォームズの社外監査役を歴任。2011年に東洋インキSCホールディングス代表取締役会長に就任。2020年以降も相談役として印刷業界、インキ業界の発展に尽力され、2023年12月末をもって同社を退社。長年の功績がみとめられ、2015年に旭日中綬章を授与されている。
奥田 拓己さん
株式会社北四国グラビア印刷 代表取締役社長
1963年、香川県観音寺市生まれ。高校まで地元で過ごした後、京都で大学生活を送る。卒業後は東洋インキ製造株式会社に入社し、グラビア印刷に必要な製版、インキについて学ぶ。1990年に北四国グラビア印刷に入社し、2006年代表取締役社長就任し、現在に至る。
第1章 〜東洋インキとわたし〜
奥田:「あわいひかり」を立ち上げるにあたって、東洋インキで社長も務められた佐久間前相談役には、インキ業界だけではなく印刷業界も含めたお話を、何が何でもお聞きしないといけないと決めておりました。
佐久間:あわいひかりと聞いて、私も観音寺市の出身ですから観音寺の粟井町がピンと思い浮かびましたよ。
奥田:おっしゃる通りです。あわいひかりの編集部があるのが観音寺市粟井町でして、そこから拝借させていただきました。また、今は淡く小さな影響力しかないサイトですがいつか明るい未来を照らす大きな光になりたいという想いも込めています。
佐久間さんは観音寺市の中心部のご出身でしたね?
佐久間:そうです。観音寺町内、財田川沿いに裁判所があるのですがその辺りです。子どももたくさんいたし賑やかでしたよ。裁判所の周りを走り回っては、よく親に叱られてました。今は寂れてしまってますが、自分のふるさとだから忘れることはないし、やっぱり懐かしいんですよ。
奥田:観音寺で生まれ育った佐久間さんが、どうして東洋インキに勤めることになったのですか?
佐久間:大学に進学するのをきっかけに東京へ出てきたんです。そして、大学を卒業した1968年に東洋インキに入社したというわけです。
奥田:どういった経緯で東洋インキを選ばれたんでしょうか?
佐久間:当時は学生一人につき2社まで、学校が企業に推薦してくれる学校推薦というのがあったんです。私は保険会社を2社推薦してもらったんですが、1社は早々に落とされてしまって。学校に落ちたことを伝えたら、もう1社推薦してやるから受けろと言われたんですね。その進路相談室に企業の一覧があったんですが、それの一番上に載っていたのが東洋インキだったんです。推薦状をいただいて提出した日の夕方に合格通知が来て、どうしようかと迷っていたんですが、学校から推薦した会社だからノーとは言えないし、ゼミの先生が日本の国力っていうのはやっぱりメーカーが引っ張っていくものだからとおっしゃっていたので、製造業もおもしろそうだなと思ったのが入社したきっかけです。人事部長と人事課長が学校の先輩だったこともあって強く勧められたのもあったんですけどね。
奥田:なるほど、そういうご縁があったんですね。私ごとで申し訳ないのですが、実は私も1987年にこちらで最終面接を受けて、最初に入社したのがグループ会社の東洋製版なんですよ。
佐久間:もちろん、存じていますよ。
奥田:その頃は、早く帰れて夜の10時頃でした。遅いと日をまたぐような生活が1年ぐらい続きました。相当しんどかったですが、会社は勢いもあって経済が回っているのを実感したものです。
佐久間:そうそう、製版というのは大変な仕事ですよ。印刷は昼間やるんですけど、 急ぎの版などがあると営業が帰ってきてからやらないといけないから、それからやっているとどうしても遅くなってしまいます。
奥田:当時は寮に住んでいました。相部屋でしたね。いつも仕事が終わると、工場のお風呂に行って。3食とも工場でいただいていたのですが、その時に生まれて初めて納豆を食べました。あの時、東洋製版で学んだことが今のグラビア印刷の仕事にとても役立ってます。
第2章 〜これまでの取り組みと新製品〜
奥田:ついつい話が脱線してしまって申し訳ありません。話を戻しますが、佐久間さんが入社された当時のインキ業界や印刷業界というのは、どんな感じだったのでしょうか?
佐久間:入社した頃、日本は高度経済成長の真っ只中という時代でした。特にオフセット印刷が元気でエース級の社員はみんなオフセット印刷のほうに配属されるんです。でも、私はグラビア印刷をやれと言われて。今後伸びていく業界になるとも思ったので、グラビアで勝負しようと思ったんです。
奥田:その頃から環境対策というのは話題になっていたのでしょうか?
佐久間:そうですね。ちょうど1970年代の初頭から印刷業界やインキ業界でも環境に対する意識が高まってきて、東洋インキでも1973年に「環境改善対策本部」を立ち上げ、全国の生産拠点(富士、青戸、川越、十条、守山)と連携して環境対応に取り組みはじめました。
また、弊社のお客様である印刷会社の環境対応も支援しようということで、1975年に「印刷排水処理相談室」という窓口を作りました。
奥田:環境対応インキの開発も、その頃から始まったわけですよね?
佐久間:1970年代から1980年代にかけて様々な印刷インキの研究開発がはじまって、1990年代に入って大豆油インキやアロマフリーインキ、ノントルエン・ノンMEK インキなどの環境対応インキ製品を誕生させました。これらの製品は、「環境価値」を実装した「環境調和型製品」として認識されていて、今では東洋インキグループの全製品売上の60〜70%を占めています。
奥田:全売上の60〜70%ですか!それは大きいですね。
もし差し支えなければ、これから主力になりそうなインキや最新技術を駆使したインキについても教えていただけませんか?
佐久間:最近では、LEDの紫外線で硬化させる「LED-UVインキ」や、有機溶剤を使用していない「水性インキ」、溶剤や樹脂の原料に植物由来素材を使った「バイオマスインキ」を主軸に展開しています。
また、インキの生産工程だけでなく、お客様のもとでの省エネルギーやCO2排出削減に貢献できるよう、常温での乾燥性を早めたり、UV硬化性が高いといったサプライチェーンレベルで環境調和を目指すインキ製品の開発にも力を注いでいます。
第3章 〜日本と海外 環境意識の違い〜
奥田:東洋インキさんは早くから海外にも進出されていますが、日本と海外ではやはり環境に対する意識に違いがあるのでしょうか?
佐久間:環境印刷への取り組み状況については国によって様々なので一概に比較することは難しいですが、先進国であって自然にも恵まれている日本では、環境問題に真剣に取り組んでいらっしゃる一部の方々を除けば、基本的に「環境保全には肯定的だが、積極的ではない」と感じています。中近東の砂漠や中央アジアの岩山帯のような殺伐とした風景を日本人が日常的に見ることはありませんから、なんとか自分たちが手を尽くさないと自然の豊かさが完全に失われてしまうという危機感がどうしても薄れてしまうのではないでしょうか。
奥田:たしかに、おっしゃる通りですね。私たちが目にする印刷物にFSCマークやバタフライマークが表示されていれば、「あ、環境に配慮した印刷物だな」と良い評価はしますが、そのマークが付いてるからこちらを選ぼうとかこれを買おうとはならないですもんね。
佐久間:そうなんです。消費者がそういうお考えであれば、消費財メーカー、すなわち印刷業界のお客様(クライアント企業)の方針や戦路にも影響を及ぼしますよね。上場している大手企業にとっての環境対応は、ESG評価機関や消費者からのサステナビリティ評価の向上のための一施策であって、海外の大手企業のように全ての印刷需要を環境印刷で対応しようというレベルにはまだまだ至っていないのが現実です。
奥田:私たち消費者から、もっともっと声を上げていかないといけないということでしょうか?
佐久間:そうとも言えます。だからといって日本の環境印刷事情は、決して停滞しているわけではありません。2025年に大阪・関西万博が控えていますが、2022年8月に日本印刷産業連合会では、この万博を通じて『すべての印刷物を“グリーンプリンティング”に』をスローガンにGP(グリーンプリンティング)認定制度を日本全国に展開しようというアクションを進めています。
奥田:それはすばらしい取り組みですね。オフセット印刷やグラビア印刷をはじめ、シール印刷やスクリーン印刷、製版業など、さまざまな印刷業界の組合が参加する日本印刷産業連合会という大きな枠で環境印刷を進めていくのは有意義なことだと思います。
佐久間:ご存じのように、日本の印刷会社の9割以上が100人未満の中小企業であり、7 割以上は10人未満の小さな会社です。ところが、印刷物の全出荷額のほぼ半分が、1割にも満たない大手印刷企業によって賄われています。これが現在の日本の印刷産業の姿です。
印刷需要の減少が続き、中小・零細の印刷会社が事業継続にも苦悩しておられる中で、グリーンプリンティング認証の取得は技術的にも経済的にもハードルが高い。行政や業界団体、大手企業が十分に支援していかないといけないですし、かつクライアント企業に対しても環境印刷についての啓発や働きかけをしていくことが肝心だと私は考えています。
奥田:同感ですね。中小・零細の印刷会社は目先の仕事や今抱えている仕事に精一杯で、
なかなか環境対応にまで手が回らない。行政や団体が積極的に支援して、すべての印刷会社が環境対応に取り組めば、日本もすこしずつではあるが変わっていくと思います。
佐久間:さらに環境印刷の原材料においては、紙がCO2排出の8割以上を占めています。FSC認証紙のような環境対応紙は非認証紙に比べて高価なので材料の転換に積極的になれないこともあるのではないでしょうか。
海外では欧米などの先進国を中心に、大手ブランドメーカーが環境対応を強力に発信しており、環境対応ができていない原料メーカーや資材メーカーとの取引を制限すると宣言しています。それは行政の施策や消費者団体の活動にも少なくない影響を与えています。日本人には希薄な「環境保全への積極性」を感じますね。
奥田:日本でも大手ブランドメーカーが環境対応を行なってはいますが、そこまで積極的に発信はしていないように思います。世界を市場にする企業にとっては、環境対応は当たり前になっていくでしょうし、それを積極的に発信して取引先や生活者に選んでもらえるブランドにならなければいけないと思いますね。
第4章 〜東洋インキグループの環境対応〜
奥田:その世界を相手に経営をされている東洋インキさんでは、現在どのような環境対応を積極的に推し進めているのでしょうか?
佐久間:東洋インキでは、生産プロセスの革新による省エネ・CO2排出削減を進めてきました。生産機械を省エネなものに置き換えていくこともそうですが、化学反応や物理的処理を解析して反応時間や処理時間を短縮することで、より効率的にエネルギー使用量を減らすことができると考えています。
奥田:例えばどういったことでしょう?
佐久間:グループ会社であるトーヨーカラー富士製造所では、顔料プラントとインキプラントが隣接していることで、有機顔料の別拠点への輸送や、輸送用に顔料を脱水・乾燥する工程を省くことができるようにしています。すなわち、輸送用のガソリンや乾燥工程に要する電力を減らせるというわけです。
奥田:なるほど。それは、環境的にも経営的にも効率的な取り組みですね。
佐久間:このように、東洋インキグループの環境対応は事業や製品そのものをベースとしていますが、そのほかにも生産拠点でのコジェネレーションシステムや太陽光発電設備の運用、低炭素材料の積極的な使用、オフィスの電力に再生可能エネルギーを導入するなど、さまざまな取り組みを行なうことで、サプライチェーンの視点で見たときに、総合的にCO2排出の少ない製品をお客様に提供することにつながっています。
奥田:世界中にオフィスや工場を抱えていらっしゃる大手企業だけあって、製品だけでなく環境対応に関してもしっかりとやられてるんですね。
佐久間:東洋インキグループは以前から「生活文化創造企業」をスローガンにしています。ただ単に企業として売り上げが伸びて利益が増えればいいというのではなく、世界中の人々が安心して暮らせ、新たな文化の創造に印刷やインキを通じて貢献できる企業でありたいと思うのです。だからこそ、環境への取り組みは21世紀を生きる企業の重要な課題であり、印刷業界やインキ業界にとって環境印刷はこれからの時代のデファクトスタンダードになり得ると思います。
第5章 〜あわいひかりと観音寺への期待〜
奥田:最後に、私たち「あわいひかり」と、地元観音寺市へのアドバイスや提言があればお伺いできると嬉しいのですが。
佐久間:環境保全やCO2削減なんていうのは、すぐに成果が出るものではないから、続けていくしかないですよね。だから、「あわいひかり」も粘り強く発信し続けていくことが大切ではないかと思います。
観音寺市についても、積極的に情報を発信していくことが大切だと思いますよ。地元出身者に聞くと、高屋神社の天空の鳥居や父母ケ浜など、観音寺や三豊の観光スポットが注目されていると聞きます。他にももっともっと隠れたものがあると思うんですよね。官公庁だけに情報発信を任せるのではなく、民間からも積極的にSNSなどを使っていいモノやいいコトを発信するのが大切だと思いますよ。
奥田:今日は貴重なお話を、ありがとうございました。
-
取材・文
森本 未沙(海育ちのエバンジェリスト)