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産業廃棄物と戦って50年。 豊島問題から 今、わたしたちが学ぶべきこと。〜豊かな島は、産廃の島となり、そして環境の島へ〜

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香川県に暮らす人なら、誰もが一度は耳にしたことがある環境問題。それが「豊島問題」ではないでしょうか。今年は、瀬戸内海国立公園内に浮かぶ風光明媚な島「豊島(てしま)」に産業廃棄物の問題が持ち上がってから、ちょうど50年という節目の年。香川県に拠点を置くあわいひかり編集部として、地元で起こった最悪の産業廃棄物問題について取材してきました。

豊島問題のはじまり。

豊島問題とは、日本史上に残る産業廃棄物の不法投棄による環境問題です。事の起こりは1975年12月、豊島総合観光開発株式会社が豊島の西端にある水ヶ浦での産業廃棄物処理業の許可を香川県に申請したことから始まりました。
この時、すでに豊島総合観光開発は島民とさまざまなトラブルを抱えていたこともあり、島民1,425名が産業廃棄物施設の建設中止を県に願い入れるとともに反対運動を実施しました。
しかし、豊島総合観光開発は「ミミズ養殖のための無害な廃棄物処理」として矛先をかわし、1978年2月に香川県から産業廃棄物の種類を限定した産業廃棄物処理業の許可を取り付けてしまいました。
そして、1978年から兵庫県警が業者を摘発する1990年までの12年にわたって、シュレッダーダストや廃タイヤをはじめ、鉄線とプラスチックが混ざったラガーロープ、有害な廃油、汚泥などが不法に持ち込まれ、水ヶ浦の広大な土地に投棄され続けました。廃タイヤなど、廃棄物の一部は毎日のように野焼きされ、大量の黒煙が島を覆うこともあったそう。子どもや高齢者を中心に喘息などの健康被害も相次ぎ、子どもの喘息の発生率は全国平均の10倍に達するなど、見過ごせない状況になりました。


※豊島水ヶ浦地区に不法投棄された廃棄物 (出典:廃棄物対策豊島住民会議)

※家浦地区から見た水ヶ浦地区。
毎日のように廃棄物の野焼きが行われていた。(出典:廃棄物対策豊島住民会議)

業者の摘発と公害調停。

長い内偵捜査の結果、1990年11月に兵庫県警が豊島総合観光開発を強制捜査。翌年1月にミミズの養殖を装った産業廃棄物の不法投棄の容疑で逮捕し、以降、島への産業廃棄物の持ち込みはなくなりました。裁判の末、豊島総合観光開発は有罪となり廃棄物の撤去命令が出たにもかかわらず、約28.5ヘクタール(東京ドーム6.1個分)の広大な土地に投棄された廃棄物は残されたままとなりました。廃棄物の総重量は93万8千トンにのぼり、廃棄物は12メートルもの高さまで何層にもわたって蓄積されていました。
この事態を受けて島民たちは廃棄物対策豊島住民会議を発足し、12年に及ぶ不法投棄の実情を認識していながら放置した香川県に対して、産業廃棄物の撤去などを求める公害調停を起こしました。香川県庁前での150日に及ぶ抗議の立ちっぱなしや東京・銀座での抗議のキャラバン、香川県内100ヶ所での座談会など、島民の熱意と「平成の鬼平」こと中坊公平弁護団長率いる弁護団の献身的な活動の末、2000年6月に公害調停が成立し、香川県が廃棄物の排出などを約束しました。


※廃棄物対策豊島住民会議 安岐正三事務局長。

※豊島島民が一丸となり東京をはじめ香川県内で反対運動を展開。(出典:廃棄物対策豊島住民会議)

この時、若手リーダーとして島民の先頭に立ち、公害調停を勝利に導いたひとり、廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さんにお話を伺いました。
「廃棄物が持ち込まれた当時、私は豊島沖で養殖業をやっていました。しかし、不法投棄された廃棄物からでた汚水のせいで、海は汚染され、魚にもその影響が出るのではないかと心配しました。汚染された魚を人の口に入れることは漁師として絶対にできません。そこで家族と相談して養殖業の廃業を決め、背水の陣で公害調停を戦い抜く決心をしました。」といいます。
また、「瀬戸内海国立公園という国立公園にある島が、こんな産業廃棄物にまみれたままではいけない。美しい島を我々に残してくれた先祖や先人たちにも申し訳ないと思いました。そして、自分たちの代で決着をつけ、子供や孫たちに美しい豊かな島を残していきたいと思いました。」とも。

しかし、公害調停が成立し、香川県による廃棄物の排出などが決まり、国からの支援も取り付けたにもかかわらず、豊島水ヶ浦地区の原状復帰は茨の道でした。

豊島に残された廃棄物はどうなった?

豊島総合観光開発が摘発され、豊島水ヶ浦地区に不法に投棄された廃棄物は約94万トン。実際には100万トンは超えるという予測もあるそうです。かつて廃棄物が投棄されていた場所に建つ「豊島のこころ資料館」を訪れると、豊島に産業廃棄物が持ち込まれた経緯をはじめ、住民の方々の反対運動や調停の様子、投棄された産業廃棄物がどのように処理されたのかなど、豊島問題に関わるすべてをパネルや資料で見学することができます。中でも目を見張ったのが、実際の廃棄物の層をFRPで固めて剥ぎ取った「産廃の壁」。高さ3メートルの産業廃棄物の層の前に立つと、廃棄した業者の悪徳性と、環境に対して悪影響であることが説明を受けずとも認識できます。


※豊島問題の資料を展示している資料館。

※公害調停の資料がすべて残されている。

※FRPで固めて剥ぎ取った産業廃棄物の壁。

※豊島問題の経緯を時系列で見ることができる。

豊島に不法投棄された産業廃棄物を処理するため、香川県は隣の島「直島」にある三菱マテリアル直島製錬所に中間処理施設を建設し、約91万3千トンの廃棄物を処理するとともに、かつて産業廃棄物が持ち込まれた港である家浦港を経由せず、直接直島へ産業廃棄物を搬出できる専用の積み出し施設を造るなど、目に見える廃棄物は確実に処理が行われました。また、2,000本以上のドラム缶で持ち込まれたベンゼンなどの有害な溶剤が地面に浸透して汚染された地下水は、海への流出を避けるために島と海の間に鉄板の遮水壁を打設し、土地の浄化処理が行われました。現在では排出基準の達成が確認されたことで遮水壁は取り除かれていますが、地下水は自然浄化を行い、地下水の環境基準達成まで経緯観察をしている状態だと言います。
前出の安岐さんのお話では「廃棄物が投棄されていた当時は、カニ(シオマネキ)などの生き物が全くいなくなっていました。また、海の中のアマモなども磯焼けを起こして姿を消し、イカなどが産卵に来ることもなくなりました。今ではアマモなどの海藻も増えて、コウイカの産卵や回遊も確認されるようになりました。」と、少しずつではありますが豊島の環境は回復し始めているということでした。

豊島問題から、学ぶこと。

豊島に産業廃棄物が投棄された期間は1978年から1990年の12年間。その間に90万トン以上の廃棄物が持ち込まれました。それは美しい豊島の景観だけではなく、土壌を汚染し、地下水を汚し、子どもや高齢者に健康被害を与えたと言われています。本格的な廃棄物の撤去が開始された2003年9月から2023年3月まで、約20年の時間と800億円以上の公費、最先端の廃棄物処理技術が惜しげもなく費やされ、豊島は徐々に元の美しい島へと戻ろうとしています。


※投棄された産廃の処理が終わり整地された水ヶ浦。

※現在も処分地では汚染状況をモニタリングしている。

この豊島の産業廃棄物問題から、私たちは今、なにを学ぶべきなのでしょうか?
公害調停の当事者である香川県と、廃棄物対策豊島住民会議の双方にお話を伺いました。
まず香川県循環型社会推進課に、豊島問題を踏まえ、今後香川県がどのような姿勢で環境問題に取り組んでいくのかを伺いました。
「豊島における不法投棄問題は、わが国の産業廃棄物行政に大きな教訓を残しました。廃棄物処理業者が有価物と称して搬入した実態は廃棄物でしたが、当時の法制度では廃棄物か否かの判断には占有者の意思や有償性を勘案することとされ、行政が強制的に対応できずに有効な措置が遅れてしまったと考えています。結果として、豊島住民の方々に長期の負担と不安を与えたことは大きな反省点です。その後、処理を進め、令和5(2023)年3月に処分地の整地が完了しました。本件から得られた教訓は、法令を遵守しつつ、毅然とした姿勢で実態を直視して対処すること。現場主義を徹底すること。そして組織として対応することです。さらに、拡大生産者責任の原則を徹底すべきだと考え、不適正な処理を未然に防止する仕組みづくりを国に提案しています。豊島問題の反省を踏まえ、今後も監視体制を強化し、再発防止に努めることが不可欠であるとともに、循環型社会の実現に向けて、香川県を挙げて廃棄物を減らす努力をしていく必要があると考えています。」とご担当者さまがお話しくださいました。


※公害調停の弁護団長を務めた中坊公平氏が植樹したオリーブと記念碑

続いて、廃棄物対策豊島住民会議事務局長である安岐さんに再度、豊島問題について、私たちがどのように地球環境と向き合うべきかをお聞きすると
「豊島に産廃処理施設の建設が持ち上がった1975年当時、日本は大量生産、大量廃棄が当たり前の時代でした。その時代の皺寄せが廃棄物として豊島に押し寄せたのだと思います。豊島の問題をきっかけに産業廃棄物に対する法規制も強化され、このような問題が二度と起こらないような環境は整ってきました。しかし、私たちが胸に刻んでおかないといけないのは、壊してしまった自然は、すぐに再生しないということです。処理が進み、残された廃棄物はなくなりました。しかし、私たちが子どもの頃に見た美しい水ヶ浦の風景は、ここにはありません。先祖から託された豊かな島を、子どもや孫に残したいという想いで6,000回余りに及ぶ住民会議を行い、県内100ヶ所以上の座談会を開催し、なんとか公害調停に勝利して原状復帰を約束していただきました。しかし、もとのような景色に戻るには100年以上の時間がかかると言われています。だからこそ、自然や地球環境に配慮して、しっかり向き合った行動をすることが私たち一人ひとりに求められるのだと思います。」とおっしゃっていました。故郷の自然を再生するために、一丸となり戦ってきた豊島の住民。その方の言葉だからこそ重く、共感できるお話しでした。
現在は安岐さんたち廃棄物対策豊島住民会議の方々と豊島問題がきっかけで設立された「瀬戸内オリーブ基金」が主となってオリーブの植樹やツツジやヤマモモなどの在来種の植栽をすすめ、瀬戸内海国立公園にふさわしい島への再生を行っているということです。

不法投棄現場と資料館を見学して、環境問題について考えよう。

東京ドーム6.1個分という広大な土地に、1978年から12年間にわたって持ち込まれた90万トン以上の産業廃棄物。多いところでは高さ40メートルにも及ぶシュレッダーダストなどが積み上げられ、廃タイヤなどが野焼きされて島を覆うほどの黒煙と異臭が漂いました。さらに、有害な溶剤が入ったままのドラム缶が2,000本以上も埋められて土壌と地下水を汚染。日本最大規模の産業廃棄物問題––それが豊島問題です。
今、現場は整地されて一見すると何もなかったかのように見えますが、このような悲惨な出来事を二度と繰り返さないよう、私たち一人ひとりが意識して環境問題について考える必要があるのではないでしょうか。
ぜひ、豊島を訪れ、美しい豊島の自然に触れるとともに、かけがえのない地球環境を考えるきっかけにしてはいかがでしょう。


(現地見学のお問い合わせ先)
豊島交流センター:0879-68-2150 ※電話のみの受付です。
休館日:火曜・水曜 ※見学は可能
見学料金(ガイド付):大人2000円、大学生1500円、中・高校生1000円、小学生800円

(豊島問題に関して、もっと知りたい方へ)
豊島・島の学校
香川県 豊島廃棄物等処理事業報告書

  • 取材・文

    森近 正大(文案家)